田嶋幸三会長は現在、日本サッカー協会会長及びアジアサッカー連盟(AFC)理事をされています。
JFAアカデミー福島初代スクールマスターでもあります。
そこで今回は田嶋幸三会長についてこのように記事をまとめてみました。
- 田嶋幸三会長の嫁は土肥美智子?
- 田嶋幸三会長の息子はプロサッカー選手?
- 田嶋幸三会長の若い頃や学歴も調査
田嶋幸三会長の嫁は土肥美智子?プロフィールも
田嶋幸三会長の嫁(妻)は、土肥美智子さんです。
土肥美智子さんは、オリンピックやアジア大会などにおいてスポーツドクターとして選手団に帯同も行っています。
現在は、FIFAの医学委員会委員、女子委員会委員を務めていらっしゃいます。
日本サッカー協会においてはスポーツ医学委員を2010年から務めています。
以前は、福島県楢葉町のJヴィレッジ内にある、FIFAゴールプログラムとして世界初のスポーツ医学施設であるJFAメディカルセンターに勤務していたそうですよ。
2002年 東京慈恵会医科大学 医学博士 論文は「レーザー照射時におけるグラディエントエコーを用いた組織モニタリングの実験的評価」です。
2021年日本オリンピック委員会(JOC)が東京五輪日本選手団の「新型コロナウイルス対策責任者」に任命されています。
田嶋幸三会長との馴れ初めは、慈恵医大の整形外科医の紹介だったそうですよ。
土肥美智子さんは、元々スポーツドクターを志していたので、きっとすぐ意気投合されたんじゃないでしょうか?
2人が知り合い、結婚に至ったのは十数年前だといい、当時、日本代表のチームドクターを務めていた慈恵医大の整形外科医の紹介だったそうです。現在もサッカー協会の顧問を務めるこのドクターが2人の結婚にあたっては仲人を務めた
土肥美智子さんのプロフィール
名前:土肥美智子(どひみちこ)
出身地:東京都
生年月日:1965年10月20日
出身高校:白百合学園高校
最終学歴:千葉大学医学部
職業:医学者
所属:国立スポーツ科学センタースポーツ医学研究部の副主任研究員(内科医)
田嶋幸三会長の息子はプロサッカー選手?
田嶋幸三会長の息子は、田嶋凜太郎さんです。
慶應義塾大学1年のときに休学して、オランダ・エールステ・ディヴィジのVVVフェンロに移籍してプロデビューしています。
当初はアマチュア契約との報道でしたが、9月上旬に1年の延長オプションつきのプロ契約を締結されました。
田嶋凛太郎選手のプロフィール
名前:田嶋凛太郎(たじまりんたろう)
出身地:千葉県我孫子市
生年月日:1997年4月8日
身長:175cm
職業:サッカー選手、学生
所属:三菱養和ユース
→慶應義塾ソッカー部
→VVVフェンロー(オランダ)
→ディナモ・ザグレブII(クロアチア)
→慶應義塾ソッカー部
田嶋幸三会長の若い頃や学歴も調査
田嶋幸三会長の若い頃(現役)についてですが、世田谷区立用賀中学3年生の時に関東大会で優勝しているようですね。
浦和南高校3年生の時にはチームのキャプテンとして高校選手権で優勝し、筑波大学時代にはA日本代表に選出され7試合で1得点を獲得しています。
大学卒業後は、古河電気工業サッカー部に入社しFWとして活躍しています。
しかし、日本代表落選によるモチベーション低下が原因で古河電気工業を退社し、現役も引退されています。
25歳で引退なので、意外と若い時に現役を引退されていますね。
田嶋幸三会長は、現役引退後大学サッカーに関わった後に1990年代からはサッカー協会に従事されています。
1999年〜2002年までの間は、アンダー世代の日本代表監督をつとめた事もありましたが、以降は主に日本サッカー協会の組織委員として歩んでいます。
2006年に田嶋幸三会長は日本サッカー協会の専務理事になり、2010年に副会長、2016年に現在の地位でもある会長に就任されました。
日本サッカー協会以外では、日本スポーツ界や海外サッカー組織で存在感を発揮し、2016年からは国際サッカー連盟(FIFA)理事に就任し、2013年からは日本オリンピック協会委員(当初常務理事、現在副会長)、その他東アジアサッカー連盟やアジアサッカー連盟などで要職を歴任されています。
田嶋幸三会長のプロフィール
名前:田嶋幸三(たしま こうぞう)
出身地:熊本県生まれ、東京育ち
生年月日:1957年11月21日
出身高校:浦和南高校
最終学歴:筑波大学
職業:元サッカー選手、指導者、現・JFA協会会長等
田嶋幸三会長についてまとめ
田嶋幸三会長の嫁は土肥美智子で、息子はプロサッカー選手でしたね。
田嶋幸三会長は、意外と早く現役は引退されていましたね。
後進の成長に力を注いできた人でした。
これからも日本のサッカーの発展を担っていってほしいですね。