小野龍光(おのりゅうこう)さんは、元IT業界を牽引して年商100億円の実業家から突然インドで出家をされました。
小野龍光さんは、南極や北極・サハラ砂漠などでの過酷なマラソンにも参加したことのある冒険家としての顔も持っています。
これだけでも面白い方だなと興味を持たれるかと思います。
今回は、4月15日(土)に放送されるマツコ会議に中継で出演されるということで小野龍光さんについて深掘りしていきたいと思います。
- 小野龍光さんの妻や家族構成は?
- 小野龍光さんの大学やエリート経歴を調査
- 小野龍光さんは、なぜインドで僧侶になったのか?
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小野龍光さんの妻や家族構成は?
小野龍光さんの出家する前(前世)のお名前は、小野裕史(おのひろふみ)さんです。
出家するまでの情報は、小野裕史さんと書かせていただきます。
小野裕史さんの妻は、祐美さんです。
お二人の間に子どもさんは、いないので家族構成は夫婦の2人となります。
家族構成
夫:小野裕史さん
妻:祐美(ゆみ)さん
2004年ごろに小野裕史さんと祐美さんは結婚をされたようです。
2014年には、結婚10周年披露宴をドーンと派手にされています。
2023年現在では、結婚19年目ということになりますね。
小野裕史さんは、出家して小野龍光さんになりましたが離婚することなく現在では、妻のいるオーストラリアとインドを行き来して生活しているそうです。
小野龍光さんは、出家しても捨てることができなかったのがこの妻祐美さんです。
私は日本の仏教より佐々井さんのインド仏教を尊敬しているものの、今まで好き勝手やっていた自分を長年、支えてくれた妻とはどうしても別れることができません。
引用:文春オンライン
さらに小野龍光さんは、このように語っています。
ただ、こんな自分勝手な僕ですから、いつか妻に愛想をつかされて「逆出家」され、離婚される可能性もおおいにあります(笑)。その時は、ひとりのインド仏教の僧として、インドで思い切り活動させてくださいと佐々井さんにお願いしました。
引用:文春オンライン
本当に突然出家してくる夫に激怒するのは当たり前ですし、離婚されてもおかしくない状況の中まだお二人が夫婦でいるということは、お互いを尊敬しつつ離れていてもそれでも夫婦でいたいという強い絆の賜物ですよね。
小野龍光さんの大学やエリート経歴を調査
小野龍光さんの大学やエリート経歴についてまとめていこうと思います。
小野龍光さんは、北海道札幌市の生まれでどちらかというとお金のない家に生まれたそうです。
勝手にお坊ちゃまかと想像していましたが、無駄遣いをしてはいけないと小学1年生の時には、1学期に1ページしかノートを使わなかったんだそうですよ。
小さい頃は運動もできず、成績も下の方だったそうです。
小さい頃は、イメージとは違いますね。
高校生の頃には、宇宙に興味があり大学も宇宙について学べるところを選んだそうです。
小野龍光さんの出身大学
宇宙に興味があって、なぜ宇宙があるのか、それは何かを知りたかった小野裕史さんは、一浪して宇宙物理のある東京大学に進学しました。
教養課程が終わった後、3年生からは生物を専攻したそうです。
そのころの小野裕史さんは、就職するつもりは全くなくて生物学者を目指していたそうです。
しかし、大学院1年生の終わりごろにドコモの「iモード」のサービスが始まったことにより、いつでも世界につながれる。「iモードすごい!」とプログラミングに興味を持ったそうです。
2000年3月に、東京大学大学院理学系研究科生物科学修士課程修了しました。
小野龍光さんのエリート経歴
2000年4月、日本アイ・ビー・エム システムエンジニアリング株式会社に入社しました。
新卒研修が終わったタイミングで、サイバーエージェントから「iモードに特化した子会社を立ち上げるので社員にならないか」と勧誘を受けたそうです。
そして、大好きなiモードのために転職を決意したそうです。
2000年9月:株式会社シーエー・モバイルに第一号正社員として入社しました。
8年間で、100以上ものモバイルサイトの立ち上げをし、社員が600人になったところで独立したそうです。
2008年:専務取締役を退任し独立しました。
2008年1月:インフィニティ・ベンチャーズLLPを設立、共同代表パートナーとなりました。
日本と中華圏でベンチャー投資を行いながら、自ら起業家としてサンシャイン牧場のRekoo Japan、ジモティー、グルーポン・ジャパン、Farfetch Japanなどの創業を率いた投資家兼シリアルアントレプレナーとなりました。
この頃の生活は、仕事・マラソン・飲み会が三本柱だったそうですよ。
国内最大級のベンチャー経営者カンファレンスである「Infinity Ventures Summit」を12年にわたって主催をしました。
2017年:日本法人である株式会社17 Media Japanを設立し代表取締役になりました。
2020年:インフィニティベンチャーズの代表を退任し、M17 Entertainment LimitedのグローバルCEOに就任しました。
2022年:M17 Entertainment LimitedのグローバルCEO辞任しました。
この後、インドで僧侶になった話は次に続きます。
小野龍光さんは、なぜインドで僧侶になったのか?
紹介してきたのでわかると思いますが、小野裕史さんは凄い経歴を持っていますよね。
なぜそんな素晴らしい経歴を全て捨ててインドで出家し僧侶になったのか気になりますよね。
そこで時系列で経緯をまとめていこうと思います。
インドへ行くことになったきっかけ
小野裕史さんは、最初は「17LIVE」のCEOも降りて時間が空いたので軽いノリで旅行へいこうと思っていたそうです。
なぜインドだったかというと、10年来の親友であるタカハシさんと言われる方が突然「坊主になったよ」と連絡をしてきたそうなんです。
そして、旅行にいこうと思っていた小野裕史さんとタカハシさんは、一緒に旅に行くことになったそうです。
タカハシさんが坊主になったことで、周りの友人たちにも勧められて仏教が生まれたインドに行くことになったそう。
IT業界の人らしく、SNS上でインドのおすすめの場所を教えて欲しいと書き込みその返信の中に佐々井秀嶺さんのいる仏教徒の街、ナグプールがあったそうです。
最終的に9月上旬から34日間もインドに滞在したそうです。
そして、出発1週間前にインドに関する本を読もうと思ったそうです。
2019年に文藝春秋から出版したノンフィクションの本、
『世界が驚くニッポンのお坊さん 佐々井秀嶺、インドに笑う』がサクッと読めそうで選んだそうです。
このことがきっかけで、面白そうだからインドに行こうという軽いノリから佐々井さんのいるナグプールに訪問することが旅の最大の目的に変わっていったそうです。
佐々井秀嶺さんとの出会い
小野裕史さんと佐々井秀嶺さんとの出会いは、たまたま友達の友達が佐々井秀嶺さんのことを知っていて携帯電話の番号を教えてくれたそうです。
そして、小野裕史さんは怖気付きつつも佐々井秀嶺さんに電話をしてみるとダミ声でこう言われたそうです。
「おう、とりあえず来い! いつだ?」
そして、インドの西、ムンバイにいた小野裕史さんは、ナグプール行きの夜行列車に飛び乗ったそうです。
その時に会った時は、佐々井秀嶺さんは体調が悪かったため、もっと雷に打たれるような衝撃を受けると思っていた小野裕史さんはちょっと拍子抜けしてしまったそうです。
しかし、佐々井秀嶺さんに同行して色々なところに行き、自分の命を捧げて人々に尽くしている様子などを見て佐々井秀嶺さんのすごさを実感しました。
もっとお金が欲しい、もっとモテたいなどの欲からの解放
小野裕史さんは、佐々井秀嶺さんに「お坊さんにさせてください」とお願いし、翌日に改宗式の前に頭を剃りました。
そして、小野裕史さんは髪を剃ってもらっている間幸福感に包まれていたそうです。
あらゆる欲から解放される気分だったそうです。
僧侶になり前世を断捨離
佐々井秀嶺さんから名前をもらい小野龍光さんは、僧侶になり本名の「裕史」は前世となりました。
小野龍光さんは、インドから帰国して「裕史」の頃のビジネスやマラソンなどのブログを全部消し、龍光として生きていくという覚悟をしました。
妻の祐美さんの反応は?
インドから小野龍光さんは、LINEで「出家してしまいそう。帰国したら坊主かも」と伝えてきっと妻の祐美さんは冗談だと思って「wwww(笑)」と返信したんでしょうね。
頭を丸めて帰国した小野龍光さんに妻はこう言われたそうです。
「仏教系の大学に2年間、行っていい?」
そして、当たり前の反応ですが、妻の祐美さんは激怒したそうです。
「ふざけんな!」
元々暮らしやすいオーストラリアへの移住も考えていたようなので、余計腹が立ったんでしょうね。
今は、妻の祐美さんはオーストラリアで暮らしています。
全財産は、妻に渡しているそうで小野龍光さんは年に108万円のお小遣いで暮らしているそうです。
まとめ
小野龍光さんは、色々な縁があってインドに行くことになり、そして色々な出会いで僧侶になったことがわかりました。
エリートIT実業家でも、お金では買えない何かに出会えたということですね。
妻である祐美さんも最初は、びっくりして激怒してしまったようですが、お互いが受け入れてとても理想の夫婦だなと思いました。
俗世から離れて出家した小野龍光さんですが、頭がいいことは間違いないので何か世のため人のために僧侶として行動していってくれると思うと楽しみで仕方ないですね。
これからも僧侶の道を極めてほしいですね。